東に向かう海沿いの道なので「東」+「海」+「道」=「東海道」
では、東に向かう山の道は?「東」+「山」+「道」=「東山道」。
今でこそ、幻の古代道路となってしまった東山道ですが、奈良時代には、滋賀県から青森県まで続く重要な道路でした。
その枝道が「東山道武蔵路」。
群馬県の太田市又は栃木県足利市から東京都府中市にあった国府に至る幅12メートルの直線道路だったそうです。どうして自動車もない、電気もない時代に12m幅の、それも直線道路が必要だったのだろうか?
詳しい説明は、こちらのサイトに任せるとして、
http://www.asahi-net.or.jp/~ab9t-ymh/touzando-m/tm-flm10.html
最大の関心事は、「東山道武蔵路は、八国山緑地を貫いていたのか、否か」という点です。
最近の調査によれば、八国山緑地を貫いていた可能性が高いということです。実際に八国山緑地には12mほどの切り通しがあります。
http://www.asahi-net.or.jp/~ab9t-ymh/touzando-m/T-toukyo.html
因みに、八国山緑地のピークからは、武蔵国分寺にあった七重の塔が見えたと言われています。遠く奈良の都からの旅人は、七重の塔の姿を見て、さぞ嬉しかったことでしょう。
さて、ここからが本題。
最近、狭山スタッフの間で、「八国山緑地の切り通し周辺を整備し、東山道武蔵路があった事を示す看板を立てたら良いのでは」という意見が出ています。さすがに今の八国山から国分寺は見えないと思いますが、武蔵野台地の展望は開けるし、北側には所沢市の「東の上遺跡」が間近に見えます。歴史ファンも喜ぶし、地域おこしに熱心な東村山市も新たな名所の誕生に喜んでくれると思います。
さて、どうなるでしょうか。
今後の展開が楽しみです。