今日のボランティア活動は、スープキッチン。
低所得や障害など、何らかの理由で食事を得られない方たちへの食事支援のお手伝いです。26日にゴスペル体験をした教会で行っています。
この教会が母体となって、30年程前に財団が設立。
以来、性別や年齢、人種を問わず、貧困、人種差別、麻薬、エイズなどに苦しむこの地区の人々に、プログラムやサービスを提供してきました。
ちなみに、ボランティア中は写真はNG。
支援を受けに来る人たちだけでなく、ボランティア側も、交通違反等のペナルティとして来たりする人もいるそうで、許可なくいきなり写真を撮ることは、それだけで暴力なのです。
教会で私たちを出迎えてくれたのは、財団のコーディネーターのベン。
まずは、屋上にある小さなガーデンで、オリエンテーションです。
ベンによると、食事支援は、最初は日曜日の礼拝後の50食から始まったそうです。それが次第に広がり、サンフランシスコ郡の衛生局も貧困やホームレス問題などの解決のために必要だと認め、助成金を出すようになったということです。
ここでの食材の多くは、寄付で賄われていますが、それでも足りない食材もあり、助成金の多くはその食材の購入などに使われています。
ボランティアには無償で来てもらっているから、ギリギリ運営できている、という話でした。
周辺には、ホームレスの人たちの住居にできる施設など、関連施設がいくつかあります。また、センター内のヘルスセンターは、医師ではなく看護婦(有給スタッフ)を置くことにより、コストを従来よりも低くできているらしく、サンフランシスコ市をはじめ、全米のヘルスセンターのモデルになりつつあるということでした。
さらにベンは、こうも言っていました。
「ここのサービスを「卒業」して、次に行ける人の支援までできると良いが、食事支援1つ取っても、たとえば、職があっても何らかの事情で食事が手に入れられない、たとえば、本当に命の危険があるくらい食事をとっていない、などその人のどの部分にその支援が必要なのかは、まちまち。
なので、一律に「卒業」させることはできない。ここのプログラムの最大の目的は「ここに住む人たちの生活の安定」なので、そこに力を注いでいる。
でも、「卒業」ができないとは思っていない。
ここで食事ができることによって、ちょっとでも生まれる余裕が、さらに上への足がかりとなればいい。」
ここで今、自分たちにできることを精一杯にやる、その想いがひしひしと伝わってきました。
そして、いよいよボランティア活動へ。
「今日は、月末(給料日前日)なので、来る人が多いから忙しいよ!」と言われていた通り、11:00頃から作業を始め、2時間半があっという間!
(でも後で聞くと、今回は月末にしては空いていたそうです)
あちこちから集まっているボランティアは、食材のカットや盛り付け、配膳などを行います。研修メンバーも、あちこちに振り分けられました。
私が担当したのは、食材のカット。
ピーマン、玉ねぎなど、野菜をひたすら切っていきます。
こちらの部屋のリーダーは、アンディ。
このアンディの説明が、とても分かりやすい!
初めてボランティアに来て、かつ言葉も通じにくい私たちにもすぐに分かる説明をしてくれます。
多くのボランティアを受け入れて、慣れているのが良く分かります。
基本はジェスチャーとデモンストレーション。
少ない言葉と動きで伝え、1回目の前でやって見せることで、伝達のミスをなくします。
「Great!君は(切るのが)早いから、追加だ!」など冗談を言って和ませつつ、さくさく作業を進ませます。
気持ちの面でも作業の面でも、ボランティアがスムーズに働ける調整がとても上手な方でした。
食事支援のプログラムの後、ボランティアの人たちも同じメニューがいただけます。かなりの量を盛られますが、残すことは全く構わないそうです。
それは、支援を受ける人たちも同じです。
私たちは、「残したらもったいない」とか、「せっかく支援を受けているのに」などと思ってしまいがちですが、それに対して、JPRNのコーディネーターのうみさんは、「これは私の考えだけど」と前置きした上で、こんなことを話してくれました。
「食べ物を選ぶことができるということは、一つの特権であり、私たちが当たり前に持っている特権を、ここに来ている人たちは持っていないんです。
また、普段食事をまともに取っていない人たちは、体が弱っており、いきなり大量の食べ物を食べても、お腹が受け付けないかもしれない。
たくさんある食べ物を「残す」という選択肢があり、それを「自分で選ぶ」ということは、自立の一つである、という考えもあるのです。」
今まで私の中にはなかった考え方を教えていただきました。
こういった考えは、恐らく今の日本では、持ちにくいと思います。
もちろん、こちらでも「残したらもったいない」とか、「せっかく支援を受けているのに」と考える人はいるでしょう。
どちらが良いとか悪いとかではなく、一つの事実に対して、いろいろな考え方があるということを認め、受け止める。
その上で、自分の考えを持つということが大事なのだと実感しました。
最後に、スタッフに許可をもらって、一枚記念撮影。
みなさんお疲れ様でした!!