今日はJPRN事務局長のあかねさんによる、バークレーのウォーキングの日です。
バークレイは年齢、性、障害など、様々な分野で人権や平等についての活動が行われてきた場所で、NPOのルーツにあふれている場所でもあります。あかねさんから、この町から始まった様々な運動についての歴史、経緯について、実際に説明を受けながら歩く一日となりました。
写真はバークレーの駅の電話。言葉が話せない人のために、キーボードで会話が出来る仕組みが何と40年前からがあります。これをみると「さすがはアメリカ式だ」という人がいるそうですが、そうではなく、バークレーは反アメリカ式なんだとあかねさんは言います。つまり、多くは市民から活動が始まった場所であるということなのです。
バークレイは芸術の町でもあります。しかし、ここの芸術は敷居の高いものではなく、市民による手作りの芸術です。数々の市民ギャラリーや、市民劇場などがあり、才能があるのに機会に恵まれなかった人などがここから輩出されることもあるそうです。
街中の足元にはバリアフリーを考慮しつつも、この町のルーツが刻まれた様々なメッセージがこめられたパネルがはめ込まれていました。タイルの寄付やボランティアで作られたものも多くあります。
また、かつてシャッター街だった通りには、古い建物が残っています。場所を再建する際に、全てを新しくするのではなく、古くても良いものは活かすという考え方があり、そこからアートというコンセプトも生まれたのだそうです。「全て新しいものに変えるのではない、古き良き物も活かす」これは私がフィールドにしている里山の保全活動にも繋がる考え方だと感じました。
途中、バークレー大学にも立寄って校内を見学しました。学生運動が盛んな大学で、言論の自由を主張した、Free Speech Movement などが有名です。
実際に校内では討論会のようなものや、学生同士が自由に発言をし合う様な場面も見受けられました。イスラエルについての意見が繰り広げられていました。
Freee Speech Movement Cafeという名のがついたカフェもあります。
当時の様子が写真などで紹介されていました。
バークレー大学でランチをとった後、しばらく街中を歩き、peoples parkという公園に足を運びました。ここではホームレスや生活支援などが必要な人たちのために、食料の支給が行われていいます。そのすぐ側には、これまでのアメリカの歴史、バークレーの歴史を説明する壁画が書かれていました。
資本主義、爆弾、多人種、Free Speech Movement、ネイティブアメリカン・・・
一枚の壁画に様々なメッセージが書かれています。
この写真はpeoples parkとは別の場所にある壁画です。実は、ラテン系音楽のライブを行っているNPOの施設。描かれているのは、ラテン系の方たちが差別に対して、音楽などを通して平和的な力で戦う姿でした。
ライブハウスを運営するのにもNPO? 企業と、どう違うのか?
・・・と感じる方もいるかもしれません。しかしそれは表面だけを見ているためです。
この場合、行われている事は近かったとしても、目指す所が全く違う、と言えます。
企業であれば利益を得ることが一番のゴールです。NPOであれば自分達のメッセージを伝えることや、それぞれの団体の使命を果たすことががゴールになります。
そう考えると、普通のライブハウスには行かず、ここに集まる人がいて、ここでしか聞けない演奏、感じられるメッセージがあるのも納得がいきます。
NPOは必ずしも全てボランティアではありません。有償、無償に関わらず、企業や行政で出来ないことをする存在なのです。言い換えれば、企業や行政が同じことをできるならば、NPOが行う必要が無いともいえます。もっと言うと、NPOは手段の一つなのです。何らかの目的、例えばラティーナの差別を無くすという目的が生まれ、手法の一つとして演奏活動が行われ、その結果、活動母体となるNPOが生まれる。表面の形ではなく、根っこのところを見ることが大切です。
これらは頭で納得していたつもりのことなのですが、現地に足を運び、じかに触れ、話を聞くことで、一つ一つのことが腑に落ちていきます。
NPO職員として、大切なことを再確認できた一日でした。