とにかく欲張りな一日だった。
この日のスケジュールは、ヨセミテ南西側のジャイアントセコイアを見学し、その後ヨセミテバレーに寄り、16時までにトゥオロミーまで戻り、レンジャーのプログラムを受ける、といった流れだ。
車での道中、立ち寄ったテナヤレイク。ネイティブアメリカンの名から来ている。
水鏡が美しく、日中は水浴をする人の姿も見られる。
同じく、オルムステッドポイント。
ドームを真っ二つに切った様な形で有名な「ハーフドーム」という丘の裏側が見える。
ファイアーインフォメ-ションの脇で、ヨセミテコンサンバンシーのボランテァスタッフが望遠鏡を置いて解説をしていた。ハーフドームや、パイカ(ナキウサギ)の解説をしているようだった。
ジャイアントセコイアの森の入口にあるサインと模型の切株。
最大級の物は、こんなに大きい。
トゥオロミーに比べ、森が深い。木も大きく、枯木・倒木も大きい...
樹種はベイマツや、ジャイアントセコイアが中心。どれも大きい。
足元のマツボックリ。大きいと思っていた自分の手が小さく見える。
持っていかないで!のサイン。言葉が無くても直感的に分かるサインが好印象。
その下には、トレイルマップを買うと意味が分かる標識が書かれていた。
とても気になる。商売上手である。
中には、開拓時代に見世物になってしまった痛々しい木もあった。
ヨセミテの自然に対する考え方は、実は国立公園になったその時からあったわけではない。
倒木の脇にもコンサンバンシーのボランティア。
レンジャーを配置するだけの余裕が無い所に、見事にサポートが入っている。
同じヨセミテでも、昨日までの風景とはまるで違う。ネイティブアメリカンが住んでいる森、という印象だった。
ジャイアントセコイアを見たあとは、再び車を走らせヨセミテバレーへ。
サンフランシスコから日帰りの観光バスが出ている、ヨセミテ国立公園内でも最も人の多い場所。標高も低いので、トゥオロミーとは比べ物にならない位暖かい。日本人観光客の姿もあった。
ヨセミテビジターセンター。ヨセミテ国立公園内で最大級のもので、トゥオロミーのそれとはだいぶ作りも規模も違う。
そのすぐわきには、ヨセミテコンサンバンシーのカウンター。
来園者はトレイルの情報、アクセス、レンジャーガイドなどを求めてレンジャーのカウンターへ、
一方、ボランティアの参加、エコツアーなどの質問はコンサンバンシーのカウンターへ向かう。
コンサンバンシーのカウンターにはパンフレットが各種揃えられて、ある女性は何かの申し込みをしていた。
一方、レンジャーカウンター脇の椅子では、子供がレンジャーに何か質問をしている姿が見られた。施設内で並列しているが、二者の関係と役割分担が良く分かる。
次に、センター内の展示室に向かった。内容は...
非常にこぎれいである。地質、生き物、歴史、公園の成り立ちについて紹介されている。
手作り展示は一切ない。ガイドも居ない...
そう、こう言っては何だが、「作っておしまい」展示なのである。
ヨセミテ国立公園は、人を介するガイド、インタープリテーションに力を入れてのだろうが、施設展示は正直期待しすぎてしまったようだ。
むしろ、これは成り立ちや諸情報を得るためのもの、という位置づけで、これで良いのかもしれない。
手作り感たっぷり、テーマ別に「何かに気づいてほしい!」という様な物はない。手作りで細かく物を作るというものは、日本人の方が得意なのかもしれない。
ウィルダネスセンター。ウィルダネスエリア(原生地域)というのが国立公園内にある。トレイルは無く、踏み痕程度である。先日、ベスと歩いたのもそのような場所であった。
原生地域は立ち入り禁止ではなく、一定のルールを守れば歩いたり宿泊が出来る。しかし、全て自己責任であり、必要な知識、準備がある。そのために必要な情報を得るのがこのセンターである。日本の国立公園には無い考え方だ。
ヨセミテバレーは、言ってしまえば観光地である。レストラン、宿泊施設、マーケット、なんでも揃っている。無料のシャトルバスを利用し、2時間程度回れば十分満足できた。
トゥオロミーに戻り、今回のコーディネーターである西村氏お勧めのレンジャープログラム「Music for Parks」に参加。担当するのは、レンジャーのマーガレット。集合場所には人が集まり、開始前から色々な質問を受けていた。
彼女はレンジャーになる前にオーケストラに所属しており、ガイドでもフルート演奏と、詩の朗読を組み合わせた手法を使う。
参加者に詩の朗読をお願いし、
その後に演奏を行う、というプログラムだ。
彼女の渡す詩には、自然からのメッセージが書かれている。
小鳥のさえずり、キリギリスの鳴き声...
物語の場面が変わる時の伴奏のように、彼女が演奏をする。
場所はランバート・ドームという丘で行う。
演奏の後に少し登り、また詩の朗読と演奏を繰り返していく。
徐々に彼女が背負う風景が美しくなっていき、
空は夕暮れに向かっていく。
最後に渡された詩の朗読カード。
自分には意味が分からなかったが、キリギリスが鳴く用に、詩を朗読してほしい、という指示があったようだ。参加者はそれを行っていた。
最後のクライマックスでは、全員が詩の朗読をし、フルートの演奏を聞きながら日没を眺める。
文だけを読むと手法に走っていると思われるかもしれない。
しかし、今回一番感動したのはこのプログラムだった。
手法的な事を言うと、自然に関する詩を読ませることで生まれる共有感、ヨセミテの風景を見せながら聞く最高の演奏、徐々に風景が良くなる構成、クライマックスでの日没、全て計算しつくされている。
そして、生きものの写真も解説もないが、演奏と詩を通して、ヨセミテの自然を感じるのだ。
それは手法だけでない、彼女からにじみ出ている物がそうさせている。
というものの、彼女のご両親はヨセミテ出身で、彼女にとってヨセミテは第二の故郷なのである。
手法以上に、彼女自身のアイデンティティ、優しさがにじみ出てこそ出来る、彼女にしかできない、最高のインタープリテーションを見ることができた。
自分達が行うインタープリテーションも、メッセージを伝えなければならないという意識があるが、実は写真や実物を使った「説明」に近い物を行っていたのでは、という意識がわいた。全てのインタープリテーションがマーガレットの様になればいいとは言わない。
しかし、自分にしか言えない事、出来ない事を行い、参加者に響くメッセージが残っている。自然の解説を一切行わないでそれをする、マーガレットのインタープリテーションに自分は、心を打たれた。この体験だけでも、ヨセミテに来た価値があったと感じた。
ガイドの終了後、マーガレットと写真を撮らせていただいた。
蜂須賀レンジャー部長が作った「東京里山物語」を渡し、自分も日本のレンジャーである事を伝えたら、とても驚いていた。狭山丘陵の写真を見て、「とても美しい場所だわ」と言ってくれた。
自分もこの狭山丘陵で、マーガレットの様な、自分にしかできないインタープリテーションをしたいと強く思った。