タイのバンコクからバスに乗り、5時間かけてカンボジアを目指します。
国境でバスを降りるなり、"自称"政府の役人たちに囲まれます。
本物なのか詐欺師なのかわからぬまま、交渉もむなしく、上乗せ料金でカンボジアビザを取り、入国しました。
国境を越えて3時間、アンコールワットで有名なシェムリアップに到着。
2人で一泊US$7(540円程度)の安宿を取り、夜の街へ。
さすがは世界遺産の街。現地人よりも、世界中から来た旅行者で賑わっています。
トゥクトゥクに乗る旅行者で賑わうシェムリアップの街中
翌朝、トゥクトゥク(バイクで人が乗る荷台をけん引する乗り物)を1日チャーターし、朝日を観るため、アンコール遺跡群の中でも一番有名なアンコール・ワットへ!朝の6時前にもかかわらず、人、ひと、ヒト!しかし、白みがかった空を背にした遺跡のたたずまいを観た瞬間、数百年の時を超えてタイムスリップしたような懐かしい、不思議な気持ちになりました。
アンコール・ワット遺跡の朝焼け
その後もいくつか遺跡を巡りましたが、その全てに圧倒されました。クレーンも何もない時代に、一体どのようにして、どれだけの人が、どれだけの歳月をかけて建てたのか、想像もつかない人知を超えた遺跡ばかりです。
まさしく世界が誇る文化遺産だと感じました。
アンコール・トム遺跡内にあるバイヨン
しかし、悲しい現実にも直面しました。
ほとんどの大きな遺跡には、必ず物売りの子どもたちがいて、「コレハ、イチドル。ソレハ、フタツデイチドル。」と片言の日本語と英語で話しかけて来ます。
こちらが質問をしてもずっと同じ文を機械的に繰り返すだけ。表情も乏しく、3歳くらいの子供でも裸足で重い荷物を持ちながら、商品を売っていました。
河で無邪気に遊ぶ子供たちを写真に撮ろうとした時でさえ「イチドル!」と言われ、さみしい気持ちになりました。
また、地雷で被害を受けた人たちも楽器を演奏して働いていました。
各国の言葉で書かれた看板には、日本語で、このようなことが書かれていました。
「私たちは地雷被害者です。以前は物乞いをしていました。
しかし、子どもたちを養うために、今はこうして一生懸命働いています。」
演奏する地雷被害者たち
遺跡の周辺にはまだ何百万もの地雷が埋設されていると言われ、そうした地雷原で暮らす人々もまだまだたくさんいるそうです。ポルポト政権時には、何百万人もの国民が大量虐殺されたとも言われ、街中では60歳を過ぎたような人をほとんど見かけませんでした。
プレ・ループ遺跡からの夕陽
こんなに素晴らしい夕日が観られる遺跡で、懸命に生きる人たちがいます。
日本にいるだけでは、どうしても日本の常識・現実が当たり前だと思いがちです。
でも少し見方を変えるだけで全く正反対の事実を目の当たりにすることもあります。
今回の旅で得た貴重な経験を忘れず、今後もできるだけ広く視野を持ち、柔軟な姿勢で物事に取り組んでいこうと感じた旅でした。
報告者:小林 憲明