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世界の果てを見に行こう

2011年2月28日 /環境教育

小学校2,3~中学1年生くらいに対する環境教育で、有効なキーワードに「探検・冒険・秘密基地」というのがある。大人が聞いてもかなりワクワクする言葉です。

 

RIMG0178.jpg

 

 

日曜日の野山北・六道山公園でのレンジャーガイドウォークでは、この「探検」という言葉にスポットを当てました。

狭山丘陵最大の谷戸である宮野入には、かつて10反の田んぼがありました。現在は5反が再生され、あとはビオトープ、サンクチュアリなどの形で湿生環境が維持されています。公園内には、この10反分と、さらにそこに水を供給する集水域がすっぽり全部収まっている。この集水域を確認しようというのが、今回の「探検」の中身。

 

つまり田んぼの果てがどうなっているのか?

水はどこで生まれ、どうやって川になり、どのように田んぼに注がれるのか?

そういう大地の構造を知るということ。そこに暮らす生き物に会うこと。

 

小学校中学年~中学くらいの「探検」というのは、すなわち住んでいる場所周辺の把握なのです。

それは本能に刻まれたタイムテーブルのはずですが、現代東京の子どもたちのどれだけが、ちゃんと「探検」に出ているのか?

想像するに、その本能タイムテーブルは、新しいテレビゲーム開発に利用され、ほとんどの子どもたちの探検心は、バーチャルで埋められてしまうのではないか?地面はふくらんだりへこんだりしていて、そこに森があって川があって、カエルや野鳥や虫たちがいるということを、知る機会を失ってしまうのではないか?

 

それならそれでいいじゃん!という意見もあるかもしれませんが、この世界のナマの構造を知らないで、環境問題とか、生物多様性とかを、後からのっけようとしてもダメなんじゃないか?まともなことを考えられないんじゃないか?もっと基本の地理でも科学でも、頭の中での組み立てが変わってくるんじゃないか?

 

3~10歳くらいまでは、自然を自分の身内だと感じられるようなプログラム。ファンタジーもあり。

~14歳くらいまでは、自然の、大地や水の構造を知る「探検時代」。大人社会からの独立の練習=「秘密基地」

生物などの知識は10歳くらいからは適宜に

その後に環境問題、社会活動

 

そういう年代ごとのプログラム構成は、とても大切なことだと思います。

野山北・六道山公園には、分水嶺から田んぼまでの集水域は、完全にそろっており、そこでは一つの家族が食べるだけの田んぼ、その家族が必要なだけの燃料(コナラ林)を見せられるわけで、今回はた~っぷり探検して、人が生きていくのに必要な風景の量、風景の構造を見て来たのです。なかなかそれができる公園ってないですからね。まさに里山公園のリソースを活かしたプログラム。

 

探検もそうですが、そのすぐ後ぐらいに来る「秘密基地時代」も、自立のための大切な時代であり、これまたバーチャル文化の格好の獲物なのでしょう。草の海に秘密基地を作れなくなった子どもたちは、ネット社会、オタク文化の中へ入り込み、自分たちの世界を作り、大人社会と壁を作る。

 

オタク文化は、そういうわけで本質的に子どもっぽいのですが、全否定はしませんし、現実には外側の社会にこそ、人間疎外は蔓延しているのかもしれない。

 

自然との関係で、人間を作る。

NPObirthの環境教育は、新しいようで、「あたりまえの人を作る」ということなのかもしれません。

 

思い起こすと、僕も少年時代に何度も田んぼの外れ(現在の八国山緑地南側)を目指しましたが、いつも途中で虫取りやカエル取りに夢中になって果たせなかった。そしてそのうちに宅地開発などによって、「田んぼの果て」の方からやってきて、四方から迫り、僕を閉じ込め、追い出した。だから僕は、今に至るまで「田んぼの果て」には行っていなかったのかもしれない。あのころ「田んぼの果て」は、いけるかぎりの精一杯で、自分のテリトリーの限界、「世界の果て」と同義語だった。

 

レギュラーブッキングとしてはおそらく、「はっちい隊長最後のガイドウォーク」は、子どもたちといっしょに見た「40年来の夢の場所」。

春の日差しの中、子どもたちも自分の足で里山の尾根を超え、「田んぼのはじまり」を見たのです。

 

しかし、少年時代の「探検」が、今いる世界の把握ならば、子どもたちはもう、「探検」のためには、「田んぼの果て」は目指さないのかもしれません。目を閉じれば悪がきたちが木の棒など振り回し、「探検だ!」と言いつつ里山の低い尾根を超える姿が浮かぶのでありますが、そんなふうに、この素晴らしい里山公園を「探検すべき自分の世界」として持っている地元KIDSがはたしてどれだけいるのか?ついぞ出合ったことがないのです。やはり僕も、悲しいバーチャルゲームと同じように、本能の探検心を利用して、「ちょっとはましな環境教育」をやったということなのでしょうか?

 

どうしたらいいんだ???

何ができるんだ???

子どもたちに本物の草の香りを!

カエルの卵の手触りを!

「世界の果て」の小さなな湧き水の流れを!

 

やっぱりやり続けよう!

 本物の感性を持つ人間を一人でも世に送り出そう!

 

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