四季で構成された「東京里山物語」の、「秋の章」のラストを飾る写真です。
おそらく小学校高学年と思われる女の子が、誰も運ばず、取り残されたたんぼの稲束を抱え上げた瞬間。
ここには「もう一度 僕らはそれを抱き寄せる」という、この本の核心となる一文が付されている。
多くの方に「一番印象に残った」と言っていただいたページでもあります。
実は僕は、このワンカットを撮る前の数分間、彼女と対話し、何枚かシャッターを切っている。
そこには、ちょっと生意気なかんじの、普通の小学生である彼女が写っています。
「誰も運ばないから、私が運ぶのよ」
それは抗議でもあったし、自分は偉いんだという自己主張でもあった。
僕はそれに対して、何か短く応えたのだと思います。次に彼女は地面にかがみ、稲束を抱えて立ち上がった。
その時、ふと田んぼを見渡した彼女の表情は、それまでとはまったく違うものだったのです。
誰が悪いわけでも。偉いわけでもない。
誰に言われてやるわけでもない。
でも私は今、とても清々しく、この田んぼを見ている。私はここが好きで、やれることをやれる。
それがとても嬉しい。
それはまさに、ボランティアとは何なのかを、僕に教えてくれたのです。
その時、彼女は本当に風景と一つでした。
その黒い髪が、肌の色が、シンプルな服の花柄が、本当に美しかった。
3年前の稲刈りの日でした。
彼女はもう、ずいぶん大人になっているかもしれないけれど、この時の清々しい気持ちは、絶対に彼女の血になっていると思うのです。
その年の稲刈りの写真を、僕は大きなパネルにたくさん並べ、「日本人は田んぼで輝く」とタイトルを付けた。
都立公園で、何を「右より」なことを!なんて誰にも言わせない。
彼女の顔を見たら絶対に言えないはずだという確信があった。だから僕はそう書いた。
それから3年。誰も文句を言わなかった。
1年前、僕はその4倍の写真を2枚のパネルにコラージュし、短いメッセージを付けた。
「本当に大切なものは自分のものじゃない。だけどそれと一つになれる時がある」
全部、彼女が教えてくれたことでした。
ボランティアとは何ですか?
NPOとは何ですか?
もっといえば、愛するとはどういうことですか?
そう問われたときに、僕は明確に答えることができる。
あの時のたった数分で、僕と彼女がつかんだもの。
揺ぎ無い自信のようなもの。