八国山緑地の裾を川が流れています。
北川と呼ばれています。
北川の流れは、いくつもの小河川と合流しながら、やがて荒川に流れ込みます。
江戸時代前、多摩地域の台地は、流れる川もほとんどなく、人が暮らすのには不便な場所でした。そんな時代から八国山付近では、河川が流れ、水田が広がっていました。そのためか、八国山の向かい山には水天宮が奉られ、古くから信仰の対象となってきました。
昭和30年代まで八国山の両裾は、水田地帯でした。北川は、水田に水を供給するための大切な河川でした。昭和40年代に入ると、水田地帯は埋め立てられ、住宅地に変わってしまいました。
地元の古老たちの話によれば、昔、北川には、たくさんの魚が住んでおり、子供たちは川に入って水遊びに興じたそうです。いろいろな種類の魚が住んでいたそうですが、子供たちの一番人気は、「いろっち」と呼ばれる魚だったそうです。
さて、「いろっち」って何だかわかりますか?
メスは「しろっち」と呼ばれていたそうです。
答えは、「タナゴ」です。
何タナゴかまでは分からないのですが、たぶん、「ヤリタナゴ」か「ミヤコタナゴ」だったと思います。
北川には、今も小魚が住んでいます。
橋の上から覗くと、コブナやクチボソなどの魚影を確認できます。さすがに、ミヤコタナゴは絶滅してしまったようですが、ヤリタナゴらしき魚も生息しているようです。このタナゴが、もともと北川にいたものか、それとも後から放されたものか、真相は定かではありません。
ただ、この小魚たちにも危険が迫っています。ブラックバスです。誰かが北川に放したり、また、上流部にある宅部池から流れてきたりで、北川にもブラックバスが住み着いてしまいました。幸いな事に、地元の市民団体「北川かっぱの会」のメンバーが、小魚が生息できる北川を守ろうと、ブラックバスの防除活動を展開してくれています。
「いろっち」が泳ぎ、それを追いかける子供たちがいる。
そんな北川が戻ってきたら、とても良いですね。
理屈抜きで守っていきたい風景です。