1991年6月、ヨーロッパの片隅で、第二次世界大戦後、最悪の内戦がはじまりました。
世に言う「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争」です。
一つ国家の中で暮らすセルビア人、クロアチア人、ボシュニャク人が銃火を交えました。
紛争が始まる前は、民族の違いを気にもせず、隣人として平和に暮らしていました。
しかし、紛争が激化するに従い、隣人同士、銃火を交える事態に追い込まれていきました。
戦争なので何でもありです。その悲惨さ、残酷さは、言葉にできません。
1995年10月、4年の月日を経て、紛争は終結しました。
この紛争の死者は20万人。難民は200万人。美しかった街並みは焦土と化していました。
多民族で構成されていた地域コミュニティは、憎悪の中で崩壊しました。
そんな中、はじまったのが「ボスニア・ガーデンプロジェクト」です。
紛争で荒廃した農地を耕し、種をまき、作物をつくる。
民族のいかんにかかわらず、畑でともに汗を流す。
平和の種がまかれました。
2006年8月 フォトジャーナリスト大塚敦子は、「ボスニア・ガーデンプロジェクト」を一冊の本にまとめ、出版しました。
この本のタイトルは、「平和の種をまく ボスニアの少女エミナ」
戦争、コミュニティの崩壊、隣人同士の憎悪を乗り越えようとする人々の生活にフォーカスしたこの本は、地域コミュニティの崩壊が社会問題として認識されはじめた我が国に勇気と希望を与えてくれました。
また、この本の出版に合わせてNPO birthでは、「平和で持続可能なまちづくりの日欧市民交流 緑をとおした平和構築PJ」を立ち上げ、「ボスニア・ガーデンプロジェクト」のスタッフ2名を日本に招へいしました。
目的は、みどりを媒介にした地域コミュニティ再生の可能性を、広く知ってもらこと。
このプロジェクトは、多くの市民や学生のボランティア活動で行われ、渡航費用は国際交流基金が助成してくれました。
※参考サイト
2007年7月には、佐藤事務局長がボスニアを訪問し、ボスニアのコミュニティガーデンを視察してきました。
「みどりは、民族紛争の憎悪さえ癒してくれる」
帰国後、彼女は語りました。
2010年2月.ボスニアからSOSのメールが届きました。
「世界的な不況の中、頼みにしていたアメリカの支援団体からの資金が切れ、コミュニティガーデンが閉鎖に追い込まれている」
さて、どうする?
遠く離れた東欧の課題。
NPO birthのような草の根のNPOが一団体で対応できるミッションではない。
しかし、何かできるのではないだろうか?
できることを探ってみるか。
「犬も歩けば棒にあたる」
「birthが動けば、何かが動く」???